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History 歴史

上野池之端の歴史は、寛永寺からはじまった。

一立斎広重作(東都名所 上野東叡山全図)国立国会図書館所蔵 一立斎広重作(東都名所 上野東叡山全図)国立国会図書館所蔵

1625年上野の山に寛永寺が創建された。
開山は、徳川将軍の帰依を受けた天海大僧正。それは、江戸城を鎮護するために生まれた寺だった。
そして将軍の参詣が年中行事となり、上野池之端は江戸町民が崇敬する物見遊山の町となった。
全域に大名屋敷や寺院が佇む上野池之端は、江戸において重要な場所だったことを意味している。

街を歩くと出会う古の建築が、歴史の変遷とかつての栄華を物語っている。

湯島聖堂(約1,200m/徒歩15分) 湯島聖堂(約1,200m/徒歩15分)

江戸時代に築かれた、舞台造りの清水観音堂や権現造りの根津神社。
明治の建築を代表する、旧岩崎邸や旧東京音楽堂。湯島聖堂などの史跡もある。
江戸から現代までこの国の文化や美意識が培われた過程を、建築に見ることができるのだ。

世界に誇る日本へ。道は、この街から拓かれた。

水野美術館所蔵 水野美術館所蔵

明治の時代には、上野は近代化政策の拠点となる。
日本初の国立博物館・東京国立博物館の創設。日本初の都市公園・上野恩賜公園の開園。
さらに、国立大学や国立芸術大学が設立されるなど、近代国家日本への道が、ここから大きく拓かれていった。
また、上野池之端は、多くの文豪や芸術家に愛された街。
日本画壇の巨匠・横山大観も、池之端を愛し、暮らした偉人のひとりである。

上野池之端ゆかりの人物

旧岩崎邸庭園
ジョサイア・コンドル
ジョサイア・コンドル
往時は約15,000坪の広大な敷地に20棟もの建物が並んでいたという旧岩崎邸庭園。現存するのは、三菱財閥三代目・岩崎家久彌により明治29年に建てられた洋館と和館、撞球室の3棟である。洋館と、山小屋風の撞球室を設計したのはジョサイア・コンドル。鹿鳴館や旧嶋津公爵邸(現清泉女子大学本館)などを手掛けた英国人建築家である。洋館は、現存する最古のコンドル作品。明治時代の本格的な西洋木造建築の代表作として、重要文化財に指定されている。
夏目漱石
夏目漱石
夏目漱石も上野で暮らした文人の一人。
『吾輩は猫である』を執筆した、千駄木の「猫の家」は、以前森鴎外も暮らしたという。『三四郎』に登場する三四郎池をはじめ、上野公園や博物館、精養軒など、漱石が身近に訪れた上野の風景がその作品の中で多数描かれていえる。俳句でも「家乙鳥や 赤い暖爐の 松坂屋」と上野松坂屋を読んでいる。
東京大学キャンパス内に広がる三四郎池
正岡子規記念球場
正岡子規
正岡子規
俳人・正岡子規は、日本に野球が伝わった初期の「野球」という言葉の発明者として知られている。
「打者」「走者」「四球」「直球」など、今でも使用されている野球用語も子規の発明だ。自身も野球の愛好者であった子規は、上野公園で仲間たちと野球を楽しんだという。公園内の球場は「正岡子規記念球場」の愛称で親しまれ、「春風や まりを投げたき 草の原」の句碑が建てられている。

※徒歩分数は、80m=1分として算出し、端数は切り上げております。
※上記の内容は分譲当時のパンフレットに記載されている内容を基に掲載しております。

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